3Dplaneの創業ストーリー
そして私は夢追い人になった
テーマ:起業したきっかけ
2020年7月で満65歳になり、40年勤めた電機会社を卒業しました。 東京生まれ東京育ちの私は、会社に入って初めて関西で生活しました。相手のことを「自分」と呼ぶ、一人称と二人称の代名詞が同じと言う、おそらく世界唯一の言語と思われる関西弁に慣れる間もなく、長崎に転勤。 1年半後、アメリカの販売子会社に転勤。ロサンゼルスとボストンで延べ5年。ロサンゼルスでは、当地在住の日本人ゴルフ大会で2位になり、新聞やゴルフ雑誌に掲載されました。ヘリコプターの免許を取るための訓練を受けたことも。しかし、免許を取る前に長崎に帰任。 長崎では、自分で設計したコの字型の家を建てましたが、数年して東京に転勤。20年ぶりの東京でした。 3年後、長年担当してきたディスプレイ・モニターがブラウン管から液晶に変わった時に環境関係を担当することに。欧州の環境規制対応を担当するため、欧州へ頻繁に出張するようになりました。 そしてその5年後、今度は、ロンドンに転勤。欧州にある支店と工場の環境体制を取りまとめることに。ISO14001の認証取得を英国、スペイン、イタリア、ドイツ、ポーランド、ポルトガルの販売会社について統合認証を取得。統合認証を行うためには、各国の環境管理マニュアルを欧州本部の環境管理マニュアルを元に様式を統一し、各国語で書かれていたものを英語にする必要があります。ロンドンから欧州内の支店や工場、またEU本部のあるブラッセルに月に何回も行くことに。 ロンドン在任中、パリで毎年開催されている日本人ゴルフ大会で優勝し、日経新聞欧州版に載りました。 ヨーロッパでは、あちこち旅行しましたが、一番良かったのが地中海一周クルーズ。夜は次の寄港地までクルーズ。翌日、寄港地でバス観光。船は港に入る時、転回してバックで港に入りますが、それをデッキから眺めるのが、なんとも壮観なスペクタクルショーでした。 3年半のロンドン勤めの後、東京に帰任。 そして昨年ついに定年退職。考えれば会社に入ってから定年まで、自分で自分の進む道を決めたことがありませんでした。退職前からゴルフ関係の仕事にしたいと思っていました。それで退職後、3Dplaneという屋号で個人事業主に登録し、活動を始めました。 近年、ゴルフ用の測定機の発展は目ざましく、ボールやクラブヘッドの一瞬の動きを測定できるようになりました。しかしながら、正確に測定できる機器は、非常に高価(約200万円)で一般ゴルファーでは、購入出来ません。数万円の機器もありますが、クラブに装着するタイプで使い勝手が悪く、測定結果も誤差が大きく上級者がスイングのチェックをするには、性能的に十分でありません。そこで、現在約200万円する測定機の機能を限定して数万円にして一般ゴルファーにも購入出来る実用的な測定機を開発し普及させることを目的としています。 その開発費を準備するため、ゴルフ用距離計とインドアゴルフ・シミュレータの新機能のアイデアをメーカーに提案し、特許収入を得ることを計画しています。また、一般ゴルファーを啓蒙するため、「ゴルフの幾何学」という解説を書きゴルフ雑誌等に投稿しています。測定機を使って練習するとゴルフ技術が向上することを啓蒙するためです。 そして私は、夢追い人の一人になったのです。La La Landの主人公のように。
最終更新日:2022-02-13 23:55:52